自己紹介の義【キラキラ亭酔無痰】
しゅわっち
私人であり詩人、昼子悦西でござりまする。
以下は
始めての人のための自己紹介のようなしゅわっち であり、
また詩論であり、また余計分からなくさせるための方便でござる。

てまえ 昼子と称しまするが 昼子とは蛭子のことでございます
蛭子 蛭子と いいましても いささか わかりずろうございます
蛭子は 其の起源たるわ いざなぎのみことと いざなみのみこととの
最初の ファックに さかのぼる 奇形ジミた 一番子、あわれ流され隠岐島となりけり。
昼は 蛭とも読むけども 実は 日の子との説も之有り。
貴賤のいずれかは分からぬけども そこに似非とのオチを付け
そのまんまじゃあんまりだからあ そこに本阿弥光悦は 悦
かの西行の西をとってつけ さいと 読むことにより、ここに詩人 昼子悦西は
生をむごたらしく受け、 世の勧善懲悪をさかさにし、
虚構の日々を押し広げ 耳くそかっぽじって 詩の毒矢をうちつづけようと
こころえたる次第
さてさて 名の言われの話はきいたが
なんでキラキラなんてー ふざけたことぬかしやがるってんだいなんて
言われましょーが、そりゃミドモが「キラキラ橘商店街」なんてーゆーふざけてるが
なかなか鯔背な通りの入り口付近の襤褸屋に棲まっているからであって、
所はお江戸 墨田の吾妻神社と梅の花咲く小村井香取神社の付近にてござい。
断腸亭なんちゃらとかおろしやこくなんちゃららみたいな言い回しがしたくて
まー後者をそのまま使っててんじゃー 藝がねーから 酔いもしねえで痰っちゅう、まあ余計藝がないけど どっかロックな表現を採用。
さて、ミドモのお面相の方でござりまするが
だれかに似てるって思い出そうとした始めて会った小母さんが
手をたたいて、風邪を堪えたマスク越しに
「あ、寅さん」と大きな目を余計デカクしてミドモに言ったので
ミドモ、狼狽。寅さんか、帽子や首からブラサゲモノという様相が似とるのか、
それとも顔が似とるのか、「ミドモはそこまで皮のツラにアツミがない」と
粋な風情のある暗喩を咬ますも白々空々霞色なんで、酩酊の態で帰宅
ミドモには詩論なんか のたまう器量はないが、
だが 現代詩というものは如何に捕らえ所なく、がゆえに且つ無限を孕むかと
言うことに言及しときたい。現代詩といっても、ここは日本国の詩に限っているが。
ミドモら元々右より傾向にある人種から睥睨させると、
いまや天下国家は価も値も丸ごと入れ替わり、歴史的背景というものの透明度が、もはや限りなくゼロに近づいているのであってかなりご機嫌斜めだし、火急の場。火話しをつづけりゃー 自前企業はメリケンの企業に買収され倒すは、たぶん土地もそうだわ
誠に火の元(二重ね)の元栓は緩みっぱなしであって、悲嘆し世捨て人と化すのも又風情なのだが
それでもそれを逆に堕落を垂涎して待ち望んでいる文化的欲望というものも不幸にしてモコモコとめたげだし、
これって美味しいんではないかと思ってしまうミドモもどこかにいざ候。
まだ近代の名残りのある昭和に産まれ、そして近代の名残りが霧消しかけた現在にその活躍期を迎えているミドモとしては、あらゆる言語や価値や文脈を使い倒せるという昂揚がなくもない。そこに対立があり、間があり、ダイナミクスがある。
それを楽しんでしまうというのは極左的意識でもありまする。
しかしミドモは無産者には まったくの興味もなく、これを忌避するものでありんす。
今や日本語の文言の可能性の中心にあると思えるのは、
キーボードによる打ちミスと、誤変換にあるとミドモは思う。
それを考えると、日本語ほど、同音発音の言語が多い言語はなく、
(それは漢語の発音を省略して簡易にしたことによる音符の重複と
日本国独自の西欧翻訳漢語を作ったこと、そして明治以降雑多な外来概念を
片仮名で受け入れてきたことによるだろうな)
センテンスを違えば全く意味をなさなくなってしまうものが多い。
逆にいうと、その無意味さ、突如感こそが、どこまでも面白いのであって、
そこに詩はにゅるりといでてくるのではないかとミドモは思っている次第。
だからこそ、ミドモの詩は、一見とっつきづらいかもしれず、
一見コントの台本のように思えるかもしれず、
人によれば知らない漢語とタームがあるかもしれず、
人によれば唾棄すべし!と保守な気焔をあげる節もあろう。
が、ミドモはそこにこそ、つまり言語の崩壊にこそ、日本語の現在の最たるものがあるのであって、それ以外に「面白さ等ない」と言ってしまいのである。
言語の崩壊を見ずして、言語は語れぬ。
そして庶民の中で無限に晒され撹拌されズタズタにされた言語こそ、詩である。
詩は高邁な精神や反戦や恋慕や反資本をのたまうばかりが能ではない。
それは詩の効用を制限した堅苦しい清廉潔白イズムであり真面目腐った男根主義的怠惰だ。要は、女の腐ったような男のすることだ。
だからワシは、そんなのかんけねーも、だっちゅーのも、どんだけーも、KYもCKYも
すておけんのである。文化人類学者のような採集欲からではない。
純粋に、ミーハーに、使いたいのだね。
1日1飯、あなたのランチ
昼子の昼飯 昼寝に昼ドラ なんでもござい。
そんなこんなで
面白きことなき世を面白くだw
そなもんだから1飯建立しつづける次第で候
しゅわっちは
昼子悦西
●一飯建立御粗末でした。
●感性の目盛が3mmあがったなら、クリックプリーズ。おねがいします!
↓ ↓ ↓
人気ブログランキング
私人であり詩人、昼子悦西でござりまする。
以下は
始めての人のための自己紹介のようなしゅわっち であり、
また詩論であり、また余計分からなくさせるための方便でござる。

てまえ 昼子と称しまするが 昼子とは蛭子のことでございます
蛭子 蛭子と いいましても いささか わかりずろうございます
蛭子は 其の起源たるわ いざなぎのみことと いざなみのみこととの
最初の ファックに さかのぼる 奇形ジミた 一番子、あわれ流され隠岐島となりけり。
昼は 蛭とも読むけども 実は 日の子との説も之有り。
貴賤のいずれかは分からぬけども そこに似非とのオチを付け
そのまんまじゃあんまりだからあ そこに本阿弥光悦は 悦
かの西行の西をとってつけ さいと 読むことにより、ここに詩人 昼子悦西は
生をむごたらしく受け、 世の勧善懲悪をさかさにし、
虚構の日々を押し広げ 耳くそかっぽじって 詩の毒矢をうちつづけようと
こころえたる次第
さてさて 名の言われの話はきいたが
なんでキラキラなんてー ふざけたことぬかしやがるってんだいなんて
言われましょーが、そりゃミドモが「キラキラ橘商店街」なんてーゆーふざけてるが
なかなか鯔背な通りの入り口付近の襤褸屋に棲まっているからであって、
所はお江戸 墨田の吾妻神社と梅の花咲く小村井香取神社の付近にてござい。
断腸亭なんちゃらとかおろしやこくなんちゃららみたいな言い回しがしたくて
まー後者をそのまま使っててんじゃー 藝がねーから 酔いもしねえで痰っちゅう、まあ余計藝がないけど どっかロックな表現を採用。
さて、ミドモのお面相の方でござりまするが
だれかに似てるって思い出そうとした始めて会った小母さんが
手をたたいて、風邪を堪えたマスク越しに
「あ、寅さん」と大きな目を余計デカクしてミドモに言ったので
ミドモ、狼狽。寅さんか、帽子や首からブラサゲモノという様相が似とるのか、
それとも顔が似とるのか、「ミドモはそこまで皮のツラにアツミがない」と
粋な風情のある暗喩を咬ますも白々空々霞色なんで、酩酊の態で帰宅
ミドモには詩論なんか のたまう器量はないが、
だが 現代詩というものは如何に捕らえ所なく、がゆえに且つ無限を孕むかと
言うことに言及しときたい。現代詩といっても、ここは日本国の詩に限っているが。
ミドモら元々右より傾向にある人種から睥睨させると、
いまや天下国家は価も値も丸ごと入れ替わり、歴史的背景というものの透明度が、もはや限りなくゼロに近づいているのであってかなりご機嫌斜めだし、火急の場。火話しをつづけりゃー 自前企業はメリケンの企業に買収され倒すは、たぶん土地もそうだわ
誠に火の元(二重ね)の元栓は緩みっぱなしであって、悲嘆し世捨て人と化すのも又風情なのだが
それでもそれを逆に堕落を垂涎して待ち望んでいる文化的欲望というものも不幸にしてモコモコとめたげだし、
これって美味しいんではないかと思ってしまうミドモもどこかにいざ候。
まだ近代の名残りのある昭和に産まれ、そして近代の名残りが霧消しかけた現在にその活躍期を迎えているミドモとしては、あらゆる言語や価値や文脈を使い倒せるという昂揚がなくもない。そこに対立があり、間があり、ダイナミクスがある。
それを楽しんでしまうというのは極左的意識でもありまする。
しかしミドモは無産者には まったくの興味もなく、これを忌避するものでありんす。
今や日本語の文言の可能性の中心にあると思えるのは、
キーボードによる打ちミスと、誤変換にあるとミドモは思う。
それを考えると、日本語ほど、同音発音の言語が多い言語はなく、
(それは漢語の発音を省略して簡易にしたことによる音符の重複と
日本国独自の西欧翻訳漢語を作ったこと、そして明治以降雑多な外来概念を
片仮名で受け入れてきたことによるだろうな)
センテンスを違えば全く意味をなさなくなってしまうものが多い。
逆にいうと、その無意味さ、突如感こそが、どこまでも面白いのであって、
そこに詩はにゅるりといでてくるのではないかとミドモは思っている次第。
だからこそ、ミドモの詩は、一見とっつきづらいかもしれず、
一見コントの台本のように思えるかもしれず、
人によれば知らない漢語とタームがあるかもしれず、
人によれば唾棄すべし!と保守な気焔をあげる節もあろう。
が、ミドモはそこにこそ、つまり言語の崩壊にこそ、日本語の現在の最たるものがあるのであって、それ以外に「面白さ等ない」と言ってしまいのである。
言語の崩壊を見ずして、言語は語れぬ。
そして庶民の中で無限に晒され撹拌されズタズタにされた言語こそ、詩である。
詩は高邁な精神や反戦や恋慕や反資本をのたまうばかりが能ではない。
それは詩の効用を制限した堅苦しい清廉潔白イズムであり真面目腐った男根主義的怠惰だ。要は、女の腐ったような男のすることだ。
だからワシは、そんなのかんけねーも、だっちゅーのも、どんだけーも、KYもCKYも
すておけんのである。文化人類学者のような採集欲からではない。
純粋に、ミーハーに、使いたいのだね。
1日1飯、あなたのランチ
昼子の昼飯 昼寝に昼ドラ なんでもござい。
そんなこんなで
面白きことなき世を面白くだw
そなもんだから1飯建立しつづける次第で候
しゅわっちは
昼子悦西
●一飯建立御粗末でした。
●感性の目盛が3mmあがったなら、クリックプリーズ。おねがいします!
↓ ↓ ↓
人気ブログランキング






